病気や障害が理由で、健康なお子さんたちと同じように運動ができない、というお子さんは多いです。
うちの息子たちもそう。
兄弟そろって筋肉の病気(先天性ミオパチー)があるので、体育全般がとにかく苦手。
いや、苦手っていうレベルではないかもしれない。
まともにやろうとしても、遂行不可能というべきか…。
なので、子どもたちが一斉に競技を行う運動会やマラソン大会ではめちゃくちゃ目立ちます。
保育園くらいの頃は、それでも楽しく参加していましたが、小学校に上がるとほかの生徒や周りの人たちの目が気になったり、悔しく感じたりすることも…
そんなこともあって、子どもたちと合理的配慮について子どもたちと話し合い、それぞれ運動会をどうしたいのかを考えました。
子どもたちの「思い」や、それの選択肢を選んだ理由、そして周囲の反応などをシェアしますね。
私自身もとっても考えさせられました。
必要な方のお役に立ちますように!
☑本記事の内容
- 筋肉の病気の子の運動会へ向けた葛藤が分かる
- 運動会などの場面でどんな合理的配慮ができるか分かる
- 合理的配慮は選ぶ自由も選ばない自由も保証してほしい
では、目次です!
よく聞く合理的配慮ってなに?
まずは合理的配慮について、定義を共有しておきましょうか。
合理的配慮とは 障害を持つ人が障害を持たない人と同様に社会生活を送れるよう、 社会的障壁を取り除く配慮のこと。
令和3年に障害者差別解消法が改正されて 事業者による障害のある人への合理的配慮の提供が義務化されましたね。
つまり、病気や障害によって、学校生活にバリアがある人が
「バリアを取り除くために対応してほしい!」
と、意思表示を示した場合は、
お互いに理解しあいながら対応を検討することが必要だってことですね。
これ、後述しますが、周囲からの理解が欠かせないんです。
なぜかって、場合によっては
「あの子だけずるいよね」とか
「1人だけ特別扱いはできません」
なんて言われちゃうこともあるから。
だから、まずは「そういうことじゃないんだよ」ってちゃんと当事者も知っておく必要があるんです。
よく合理的配慮を説明するのにつかわれるのがこんな感じの図です。
配慮無しだと、左の子と真ん中の子は塀の向こうが見えません。
じゃあ、みんな平等に配慮しましょう!と同じ高さの台をみんなに提供すると、、、
真ん中の子は見えるようになったけど、左の子はまだ見れない。
じゃあ、それぞれの背の高さに応じて個別の配慮を行ったら?
みんな、無事に塀の向こうを見ることができるようになりました。
なんとなくイメージ湧きますか?
合理的配慮ってこういうことなんです。
難病の症状がやりたい気持ちを邪魔してしまう
国指定の難病は、現在338疾患と言われています。
そして、小児慢性特定疾病と言われる難病は788疾病です。
難病からくる症状はそれほど個人差が大きく、多様です。
私の息子たちは筋肉の疾患なので、とくに運動能力面で「やりたいけどできない」が多く出現します。
今年の運動会で、子どもたちが抱えていた悩みはこんな感じです。
【兄】
- 徒競走ではほかの子に半周以上遅れてしまうので、注目の的になるのが恥ずかしい
- ダンスをかっこよく踊りたいけど体幹がグラグラ、後半ヘロヘロ
- 運動会の係りの「道具出し」が素早くできない
【弟】
- 徒競走で一度もビリ以外をとったことがない。
- ダンスの時に膝をついた姿勢からさっと立ち上がれない
うちの子どもたちに共通する症状として
- 走るのが遅い
- 前身の筋力が弱く素早く姿勢を変えられない
- 疲労感が強い
といったものがあります。
そしてそして、こうした問題そのものじゃなくて、そこから派生する小学生ならではの悩みが実は子どもたちのやる気を削いでしまったりしています。
- 放送で「頑張ってください」など言われて余計にできない自分が目立ってしまう
- 遅れながらも最後まで走ると、ビリなのに拍手される
- 真面目にやっているのに「やる気がない」と思われる
- グループ競技などで「お前のせいで点が低くなる」と言われる
わりと地獄です。
ほんと難しいですよね。
でも、救いなのは「じゃあ、運動会出るのや~めた!」じゃなくて、
「じゃあどうやったら、自分も一緒に参加できるかな?」って子どもたちが自分で考えられたこと。
賛否はあるかと思いますが、子どもたちが決めた運動会の楽しみ方はこんな感じでした!
運動会参加にあたって求めた合理的配慮
【兄】
- 徒競走の距離をほかの生徒の半分に
【弟】
- 配慮無し(他の子と同様、50m走のタイムが近いメンバー同士のグループに)
結局、子どもたちは上記の対応となりました。
配慮ありを選んだ兄
長男は悩んだ末、徒競走のみに配慮をお願いすることにしました。
「よーいドン!」のスタート位置を変更してもらったんですね。
スタート位置は、スタートとゴールのちょうど真ん中あたり。
「よーいドン!」で同じグループの子と一緒に走り出して、ゴールするといった感じです。
当然、これでも一位にはなれません。最下位です。
だけど、なんとなくグループから離れすぎずにゴールができるので、みんなを待たせてしまう必要もないし、悪目立ちもしないので長男的には安心感があります。
徒競走で配慮してもらう一方で、
ダンスや係の仕事は「とにかく全力で頑張る!」との言葉通り頑張りました。
頑張りすぎて帰宅後はヘトヘトでしたが、親の私たちから見ても気迫が伝わってくるくらいで、めちゃくちゃかっこよかったですよ♡
配慮無しを選んだ弟
その一方で、弟の方は配慮を求めませんでした。
本人曰く、「自分はそんな卑怯なことはしない!」と。
いつも兄と張り合っているからこそ、そんな強い言い方になってしまったのかもしれない。
でも、このとらえ方は私にはちょっとショックでした。
だからこそ、合理的配慮は決して卑怯なものではないこと、合理的配慮は求めることもできるし、もちろん求めない自由もあるんだよ、ということを伝えました。
じつは、ミオパチーの症状としては弟の方が軽いので(総合的な重症度は弟のが高い)、ぎりぎり競技の配慮無しでいけるかな?という感じです。
それもあって、話し合いの末、競技においては配慮無しでの参加となりました。
(気管切開をしているので看護師の待機は通常通り依頼しています)
その結果、徒競走もダンスも、練習以上に頑張りました!
結果はともかく、パーフェクト!
そして頑張りすぎて帰宅後発熱しました‥涙
合理的配慮を求める自由、求めない自由
運動会での兄弟それぞれの対応を見て強く感じたのは、
合理的配慮を求める自由、求めない自由、
どっちも尊重されるべき!
ということ。
「あなたにはこういう配慮が必要でしょ!だからこうしなさい!」っていうのも
「症状軽いからみんなと一緒でいいでしょ!頑張りなさい!」っていうのも
ちょっと違う。
大事なのは当時者がどうしたいか。
親であっても、子どもの代わりに「こうしなさい」っていうことは決められないなって思います。
必要だったら求めてね。一緒に考えるから。
必要じゃないって思うなら、それもいいね。
やってみて、また一緒に考えよう?
そんな風な受け皿が、学校全体、地域全体、社会全体に広がっていくのが理想だなと思います。
そのためにも、普段から子どもたちのことを知っておいてもらえる、ってすごく大事。
まずは相互理解からですよね。
まとめ
- 運動会などの行事に対して抱える葛藤は子どもによって一人一人違う!
- 合理的配慮はずるくも卑怯でもない
- 合理的配慮を求める自由も、求めない自由も、どちらも尊重できる社会になってほしい
難病を抱えて生きていく子どもたちは、年齢によっても、コミュニティによっても、必要な合理的配慮って変化していくものだと思います。
大切なのは当時者である子どもがどう感じているか。
どうすれば、自分も「コミュニティの一員」として参加できるのか。
子どもだけで答えが出ない時は、周りの大人からのサポートも必要だなと感じます。
「これが正解!」という答えの出ないものかもしれません。迷ってしまうこともあるかもしれません。
だから、一緒に考えていきましょう♪